1931年の秋、中国、上海、日本領事館外交官の両親のもとで声明をいただきました。
隣接する仏領事館にいらっしゃった中年の仏領事館夫人と母は親しく交流があったそうです
トゥ・スー・モウと仰っしゃる仏領事夫人は大変洋裁がお得意で、若い日本外交官夫人に洋裁をすすめられ、当時30歳台だった母はシンガーミシンを購入し暖かく見守って下さる仏領事夫人に洋服造りを習ったそうです。
母が私を出産したと知ったトゥ・ス・モウはお祝いにと 大きな藤の籠に真白なシルクのベビーセットをふうわりと盛り、リボンをかけ、メードさんに持たせて寄こしたそうです。
ベビーフード、ドレス、ケープなど、どれにも白糸刺しゅうが施されていました。
1才前後のことを私は記憶しておりませんけれども、写真や家族からのお話、ベビーセットなどでほぼ理解をしえおります。
京都に住んで70年は無我夢中ででしたが 今も生かされているのは、上海に源流が有ったからかなぁと想うこの頃です。
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